【北海道平取町】沙流川歴史館公開フォーラム「先住民族の環境知識」2/2

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沙流川歴史館公開での公開フォーラム「先住民族の環境知識」について

沙流川歴史館では、台湾史前文化博物館(以後、史前博物館と記載)特別企画展開催記念として、「先住民族の環境知識」についての公開フォーラムが開催されました。

このフォーラムでは自然と共に生きる先住民が持つ知識を「環境知識」として、環境の変化が著しいこれからの地球には、そのような知識が必要不可欠であるというテーマでのお話が展開されました。

加えて先住民は環境の変化だけではなく、後から制定された法律などのために、その生活や文化が継承できなくなり一番負担を受けているということに対しての環境正義ということについても話が及びました。

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北海道沙流川歴史館での国立台湾史前文化博物館特別企画展に行ってきました。

アイヌの狩人、門別さんのお話について

中でも一番印象に残ったのが、先の台湾先住民と同じように自然と共に生活する、アイヌ民族の狩人、門別さんの話です。

アイヌの生活に必要な場所をイオㇽ(iwor 発音難しい…。)と呼ぶのですが、今は国が管理しているため自由にイオㇽ(土地)が使えなくなっていること。

全てにカムイ(神)が宿ると考えるアイヌが行うカムイノミ、アシリチプノミ、イオマンテなどの儀式が行えないこと。

アイヌ文化である狩猟の技術が今の法律では殆ど出来ず、それでもそのような文化を継承をしなくては、と思う気持ちがあること。

山や川も昔アイヌが生活していた時のものとは違っているため、昔の森に戻すように遥か先の未来に向けて植樹していること。

自然にあるすべてのものを取りきるのではなく、必要な分だけ取るというような精神性を大事にしたい。アイヌだけではなく多くの人が同じ考えになって欲しいと願っていること。

カムイと共に生きていきたい。

狩猟民族という誇りを胸に抱いて生きていきたい。

何より心に刺さった門別さんの言葉でした。

公開フォーラムに参加して考えたことについて

「学問(学歴)があるから賢いわけではない。」という質疑応答の中で出た言葉が有り、一例として、あるアイヌの全盲の漁師が一番漁獲量が多かった(!)という話が取り上げられました。学問=科学を知らない全盲の彼が、どうして魚を大量に採ることができたのか。それは五感を通して得た多くの知識=環境知が彼にはあったからです。

また、東北にいるマタギは自分の村で撃った獲物の知識がそれぞれのマタギに記憶されていて、それらの知識や経験の蓄積、人の記憶がデータになっているとの話もありました。

自然と共に暮らす先住民などの人々が持つ知識には五感で感じ取る環境知というものが存在し、それは科学では解明できない分野です。

自然と共にある彼らは、現在の私達が「自然対人間」という捉え方をしているのに対して、「自然の一部である人間」として生きているからこそ、分かることがあるのでしょう。

自然破壊が著しく、環境が変化していく中で、自然を大事にしていくということは、自然と共に暮す人たちのあり方や智慧、経験、そしてそれらの文化を大事にしていくことと同じことなのかもしれません。

もっと言えば、もしかしたら私達が破壊しているのは自然なのではなく、自分たちの培ってきた文化なのかもしれない…などと考えてしまいました。

と、ここまでは自然の話だったのですが。

「これまでの社会は資本主義重視で多数が支持されてきたが、これからはそうではなくマイノリティの存在を認めていく時代である、そして今、最大のマイノリティは女性である」という同志社女子大学の大西先生の言葉がずっと胸に引っかかっています。

男性の影に隠れて、あまり知られていなかった台湾原住民の女性の文化。

調査研究保存がされなければ、誰にも知られずにそっと消えてしまっていたかもしれない文化。

その事実と、最大のマイノリティに属している自分。自分は今、生きてきた社会でどのような位置に置かれてきたのか。置かれているのか。置かれていくのか。

マイノリティの話を外から見ている気でいましたが、実は自分もマイノリティで、そんな自分に、なぜだか少し切ない気分になったのは確かです。

誇りを持て。自分。

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北海道沙流川歴史館での国立台湾史前文化博物館特別企画展に行ってきました。
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